活動へのメッセージ


「六本松・亭々舎プロジェクト」や私たちの活動へのメッセージを頂いております。


出口敦 教授(九州大学 人間環境学研究院 都市・建築学部門)からのメッセージ

九大の歴史と「青陵」の思いを次世代に

ふとしたことで思い出される学生時代の懐かしいシーン。
思い出のシーンの回顧は、あんなことを夢見ていた自分もあったなと自己の原点を振り返るきっかけを作ってくれます。
大酒飲んで語り合った仲間。打ち込んでいた部活。
学生時代の思いが脳裏をかけめぐった後に感じる人間らしい感情を取り戻したような安堵。
自身にとっての「大学」の存在は人生の深いところにあるのだとつくづく思います。

亭々舎は、大正11 年の旧制福岡高等学校開学時に官舎として建設され、
昭和2 年に西側4 室増築と共に生徒集会所に用途転用された可能性が考えられるとのことですが
(九州大学さようなら六本松誌編集委員会編著「青春群像 さようなら六本松 一九二一福高-九大二〇〇九」より)、
「青陵」と呼ばれた六本松キャンパスの懇親の場として永年利用され、
卒業生の方々の青春を謳歌した思い出のシーンの舞台として九大の歴史にその名を刻んできました。
貴重な文化財を保存することも重要ですが、多くの思い出が詰まった施設を次世代に引き継いでいくことも
歴史と伝統ある大学の証として大切と思います。

ただ、大学の移転予算では限界もあります。
それなら、卒業生自らの力で取り組みたいという青木さんら有志の方々の強い思いに共感しました。
一人でも多く方々のご協力を得て、「亭々舎」が伊都キャンパスに蘇る日を楽しみにしています。


柴田 篤教授(九州大学大学院 人文科学研究院/文学部哲学科/昭和49年卒業 )からのメッセージ

今ここに、「温故知新」のプロジェクト

 2011年、九州大学は帝国大学となってから百周年を迎えます。
大学の研究と教育の足跡は、確実に記録され伝えられていきます。
しかし、そこで学び、働いた人々の姿はやがて見えなくなっていきます。
一人一人の心の中にあった思いを、後世に伝えていく手だてはあるのでしょうか。

 ここに一つの建物があります。90年近く前に造られ、学生たちの集会所として長い間生きてきました。
若者たちの笑いや叫び、涙や怒り、激論や情熱、さまざまな姿をすべて包み込んで、
今、六本松で終わりの時を静かに迎えようとしています。
その名「亭々」は、何よりも九大生の志の高さを示すものでありました。

 このプロジェクトは、六本松における学生生活のシンボルでもあった「亭々舎」を新キャンパスに移す事業です。
地域社会との交流をめざした「あかでみっくらんたん」を大きく包み込む形で、
新たな集会所としての役割を果たしていきます。生まれ変わった「あかでみっくらんたん+亭々舎」は、
今からのち、学生たちと地域の人々との間に繰り広げられる、どんなドラマを見続けていくのでしょうか。

 「温故知新」という言葉があります。過去のことを見つめ直しつつ、新しいことの意味をしっかり見出し実現していくこと。
このプロジェクトがめざしていることは、まさにそれです。
御一緒に、九州大学の未来への扉を開いていこうではありませんか。


坂井猛 教授(九州大学 新キャンパス計画推進室)からのメッセージ

みなさま

2009年春、九州大学六本松キャンパスは伊都キャンパスに移転し、新入生の教育は全て伊都で実施されるようになりました。
2010年秋から、六本松跡地に残された建物の解体工事が開始されました。

このプロジェクトは、六本松キャンパスの遺伝子ともいえる「亭亭舎」の一部を、
九州大学の学生諸君と彼らをサポートする学内外の皆様との交流の場として再生するものです。
九州大学の若手OBの有志が始めたこのプロジェクトが、
九州大学の明日を創りだす大事な架け橋になることを願ってやみません。

主旨にご賛同いただき、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。


古賀靖子 准教授(九州大学 人間環境学研究院 都市・建築学部門)からのメッセージ

九大六本松キャンパスは、自分だけでなく、父、母、弟、妹が学んだ場所です。
九大卒業生には、親族も九大卒業生という方が少なくないと思います。
時が流れ、世代が変わっても、人の想いや記憶は建物と共に残ります。
伊都キャンパスに新しく設けられる施設「あかでみっくらんたん+亭々舎」は、亭々舎の名称や部材を遺伝子として、
旧制福岡高校や九大で過ごした多くの人の思い出を受け継いで、
次世代へ繋ぎ、新たな集い・語らい・交わりの場を提供する
でしょう。

「六本松+亭々舎プロジェクト」の成功をお祈り申し上げます。


清水博正 (工学部建築学科・20回生/昭和52年卒業)

青春のマイルストーン

私にとって亭々舎は、六本松キャンパスの昼の顔が「青春の群像」の彫刻だとすると、
さしづめ、夜の顔と言えるかもしれない。
学科はもとより、部活やサークルのコンパ、合宿など様々な活動拠点であった。
当時、私はテニス部に所属していたので、昼間の亭々舎は、テニスコートと一体となった風景として周辺に同化していた。
ところが、夜になると一転、酔いどれ空間へ変身する。記憶の中では、静と動、まさに夜行性動物のように活動を始めるのである。
それ故、記憶は夜に始まり、夜に終わる。

今だから言えるが、合宿でのボヤ騒ぎ、酩酊した仲間が当時裏手にあった某商事の社員寮に向かって
「ロッキード事件で有名な某商事の皆さ~ん」と叫んだり、
建築学科のコンパでは誰が考案した踊りなのか分からないが、
皆で輪になって、月光仮面、ハイツクズンバなどを大声で歌いながら踊りまくる…と書くと、単なる乱痴気騒ぎだが、
同窓に限らず先輩から後輩まで有意義な議論を交わす場でもあった…ような気がする。
ただそれでも、確実に心の交流は深まっていくのだ。

亭々舎は、私たちを瞬時にその時代へ誘い、記憶の引き出しを開けてくれるタイムマシンなのである。
今回、後輩諸君が伊都キャンパスにその魂を遺す企画を打ち出した。
私はその趣旨に賛同し、この新・亭々舎が地域とともに歩む「あかでみっくらんたん」として必ずや蘇生し、
いつまでも交流の灯を燈し続けて欲しいと願っている。



高橋 義人 (九州大学学生寮同窓会副会長 理学部化学科/昭和59年卒業)からのメッセージ

六本松キャンパスの思い出

私が入学した1980年頃の六本松キャンパスは、とてもよい雰囲気に包まれていた。
大学はアカデミックで自由な気風があり、自分にあった学生生活を送ることができた。
私は田島寮に入寮したことによって、六本松キャンパスと田島寮が生涯忘れることのできない場所となった。
田島寮で寮長をさせていただくことができ、多くのことを学び、寮友とも本気でつきあった。
寮自治の難しい問題や日々の悩み、自分が生きる目的についてまで、夜通し語り合ったこともあった。
時には激論もしたが、寮祭では一つになることができた。
樽神輿に加えて、歌手の河島英五さんをよんで盛り上がり、フィナーレでは樋井川に飛び込んだ寮友もいた。
寮のよさが忘れられず、寮の同窓会をつくった。
2008年の夏、最後の田島寮祭には全国から仲間が集まり、熱い思いを共有した。
2009年の3月には閉寮式典を行い、みんなで寮歌を歌い、静かに田島寮の最後を見守った。
六本松キャンパスは田島寮と共にあった。
亭々舎はSⅠ-15のクラス会や陸上競技部の懇親会の会場としてお世話になった。特に陸上競技部の入部の儀式は忘れられない。
こんな思い出のいっぱいつまった亭々舎が伊都キャンパスに蘇るのであれば、心から応援したい。

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